Object

Portrait of Fujiwara no Sadaie (Teika)

Keio Object Hub
Person
Date
制作年 AD17
Title
フジワラノサダイエゾウ
Materials, techniques and shape
Color on paper
Collections
Depository
Keio Museum Commons Campus Mita
Ref. number
AW-CEN-002272-0000
License
CC BY Images license
Creditline

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

URL
Classification
Art
AI Tagging
Handwriting Font Slope Art Monochrome

藤原定家〈ふじわらのさだいえ・1162-1241。「ていか」と呼び慣わされる〉は鎌倉時代前期の歌人、歌学者、古典学者。俊成の子で歌壇の権威の家に育ち、『新古今和歌集』の撰集(建仁元年〈1201〉撰集下命)のころには後鳥羽院を中心とする歌壇の代表歌人となっていた。『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』の撰者となったほか、家集『拾遺愚草』や歌学書『詠歌大概』『近代秀歌』など多くの歌書を著し、晩年には古典の書写や校訂に積極的で、『古今和歌集』の書写など写本の種類・分量は半端でない。こうした定家の和歌・歌論は後の文芸や文化に深い影響を与え、殊に古典研究の業績は、以後の本文研究の規範となるもので、後世に益するところはきわめて大きいといえる。さらに、19歳の時から書き続けた日記『明月記』がある。これら定家自筆の書写本・書状・懐紙などに見える独特の奇癖ある書風は、「定家流(ていかりゅう)」と呼ばれて、和様書道のひとつとして確立した。定家の自筆とする「小倉色紙」が、室町時代から興った茶道と密接な関わりをもったことから、茶の湯・歌道を介在して、その書風がとくに尊ばれたのである。こうした定家へのあこがれは、鎌倉時代以降、室町・江戸時代を通じて永く続いた。ことに和歌の世界においては、歌聖定家の崇拝の象徴として肖像画が多く制作された。京都・冷泉家には鎌倉時代の画像が伝存する。そのなかの1幅に、伝藤原信実筆本があり、それは衣冠・束帯の強装束の定家像である。この形式の画像がのちの定家像には多い。本図もそのひとつである。上部に記される歌は、定家の詠歌(『続後撰和歌集』・巻第十四所収)である。筆者は不明ながら、粘り強い重厚な筆致のなかに定家流の面影が宿る書風である。画は、江戸時代前期の画家で、土佐派を再興したとされる土佐光起〈とさみつおき・1617-91〉の筆と伝えられる。確証はないが、正統な画法をもつ有能な絵師になるものである。「白玉の緒絶の橋の名もつらしくだけて落つる袖の涙に定家卿」

袖の涙にけておつるつらしくだはしの名もをだゑのしら玉の定家卿

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Ref. number
AW-CEN-002272-0000
License
CC BY
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慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

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Depository and ID

Depository
Keio Museum Commons
Campus Mita
URL
Classification
Art

Components

OPEN DATADESIGN

Details

Identifiers

Title (EN)
Portrait of Fujiwara no Sadaie (Teika)

Physical description

Weights and quantities
Quantity 1幅
Materials, techniques and shape
Materials 軸:木製
Attachments
外箱、巻止め

Provenance

裏に墨書あり(文政7年)

Identifiers

Title (EN)
Portrait of Fujiwara no Sadaie (Teika)

Physical description

Weights and quantities
Quantity 1幅
Materials, techniques and shape
Materials 軸:木製
Attachments
外箱、巻止め

Provenance

裏に墨書あり(文政7年)