楠長諳筆和歌懐紙

- 人物
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作者楠長諳
- 年代
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制作年 AD16
- タイトル
- クスノキチョウアンヒツワカカイシ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
楠長諳〈くすのきちょうあん・1520-96〉は、桃山時代の武将・歌人。備前に生まれる。天文5年〈1536〉、将軍足利義輝につかえ、正虎と名乗った。和歌を三条西実隆に、連歌を宗牧に、蹴鞠を飛鳥井家に、武家有職を伊勢・小笠原の両家に学び、万般の芸能に通じた。ことに書においては、飯尾常房に私淑して、名筆のほまれが高かった。後年、松永久秀の家臣となったが、久秀滅亡後は、剃髪して長諳と号し、織田信長の右筆として仕えた。信長没後は、豊臣秀吉に近侍、同様に右筆をつとめた。つねに能書をもって奉仕した生涯であった。天正16年〈1588〉後陽成天皇への献上本『聚楽第行幸記』を清書したことは、長諳にとって特筆すべき名誉である。この懐紙の歌題「梅有佳色」は、天正16年正月25日に、秀吉が主催した御会始と同一である。『続々群書類従』(十四)によれば、豊臣秀吉・近衛信尹・今出川晴季・飛鳥井雅春以下、細川玄旨・前田玄以・里村紹巴ら公武僧21名の詠歌が収められている。そこには長諳の名は見えないが、秀吉の家臣として、末席に列して詠じたのではなかったか。平明で大らかな書風は、右筆の面目を示すものである。「「梅、佳色有り」ということを詠める和哥/法印長諳/治れる世は咲く梅の心にもわきてとおもふ花の色かな」
詠梅有佳色和哥法印長諳治れる世はさくむめのこゝろにもわきてとおもふ花のいろかな
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Waka Kaishi by Kusunoki Choan
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1紙
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