二条康道筆書状

- 人物
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作者二条康道
- 年代
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制作年 AD17
- タイトル
- ニジョウヤスミチヒツショジョウ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
二条康道〈にじょうやすみち・1607-66〉は、関白九条幸家〈くじょうゆきいえ・1586-1665〉の長男ながら、二条昭実〈あきざね・1556-1619〉に養われ二条家を継いだ。慶長18年〈1613〉7歳で元服、将軍徳川家康〈とくがわいえやす・1542-1616〉の一字を賜い、康道と名乗った。寛永12年〈1635〉に摂政となったが、十余年の在任後、正保4年〈1647〉に辞して、官を退いた。松永貞徳〈まつながていとく・1571-1653〉に俳諧を学んだという。また、書は、尊純法親王〈そんじゅんほうしんのう・1591-1653〉を始祖とする尊純流に属し、短冊などにはその特徴が見いだせる。文中、「いきみたま」(生御霊)は、両親のそろった者が、盆に親をもてなすための食物や贈り物をいい、他出した息子や嫁した娘も集まり、親に振る舞うという。とすると、このとき康道は、実父・幸家、母(中納言豊臣秀勝〈とよとみひでかつ・1569-92〉の女)を訪ねたのであろうか。その帰りは、新在家(京都市上京区、御所の蛤御門付近にあった康道邸か)に泊り、翌日は、本国寺(京都市山科区にある日蓮宗の寺)に立ち寄って帰参するという。文意・文体から推して、康道の妻・貞子内親王〈さだこないしんのう・1607-75。後陽成天皇第5皇女〉に宛てたものと思われる。あるいは、この時、貞子内親王は、その母・中和門院(ちゅうかもんいん)の御所、宇治の大和田の邸に居たのであろうか。「昨日、懇ろの文給はり過分に存じ候。さては御気色良き通り目出度く存じ候。絹の事心得申し候。其元へ参り候時、取りて帰り候べく候。かしく。/猶々、台もその時持たせ参り候べく候。又、今日の御気色此の者に御申し有るべく候。太閤へ礼の生御霊に参り、新在家に泊り、明日本国寺に参り、すぐに帰り申し候。生御霊墓参りは秋供と違い候て、暑きものにて候。一日、輿を持ちながら輿には乗らず、大方玉の汗を流らかし候て歩き申し候。蚊帳は京の様に一張り一昨日調へ申し候。お宿の方へ康道」
猶々たいもそのときもたせまいり候へく候又けふの御きそく此ものに御きのふねんころの文申あるへく候大かうへれいのたまはり過分存候いきミたまにまいりしんさいけさては御きそくよにとまりあすほんこくしへきとをりめてたくまいりすくにかへり申候いきミそんし候きぬの事たまはかまいりはしうくとちかい心え申候そこもとへ候てあつきものにて候一日まいり候ときとりこしをもちなからこしにはのらすてかへり候へく候大かた玉のあせかしくをなからかし候てありき申候かちやうはきやうのやうに一はりおとゝいとゝのへ申候御やとのかたへやす道
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Letter by Nijo Yasumichi
物理的特性
- 重量と数量
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員数 1葉
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