池田光政筆書状

- 人物
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作者池田光政
- 年代
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制作年 AD17
- タイトル
- イケダミツマサヒツショジョウ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
池田光政〈いけだみつまさ・1609-82〉は、備前岡山藩主。池田利隆〈としたか・1584-1616〉の子、輝政〈てるまさ・1565-1613〉の孫。母は、将軍徳川秀忠の養女(榊原康政の女鶴子)。名は幸隆、通称は新太郎。元和9年〈1623〉、将軍秀忠の諱の一字を受け、光政と改名した。はじめは播磨、ついで因幡・伯耆の領主となる。寛永9年〈1632〉以降、備前岡山藩主となり、藩政の確立に奔走した。熊沢蕃山〈くまざわばんざん・1619-91〉を登用、儒学を仁政理念に置いて藩政改革に着手した。特に学問・教育に熱意をそそいだ。藩校閑谷(しずたに)学校は有名である。また、天災・飢饉に備えて新田開発につとめるなど、江戸初期の名君として名高い。これは、明日、一条殿を招待しての饗応の料として、心入れの酒肴を贈られたことへの礼手紙。「一条殿」とは、一条右大臣教輔〈いちじょうのりすけ・1590-1664〉のこと。じつは、光政の長女がこの教輔の室となっているのである。また、宛名の「中内膳様」は、中川内膳正久盛〈なかがわひさもり・1594-1653〉で、光政の三女が、この久盛の孫・中川佐渡守久恒〈ひさつね・1641-95〉に嫁しており、これまた縁戚関係にあたる。娘婿を招いての宴の準備に忙しい、父親の細やかな心情がうかがわれて興味深い手紙である。流麗、闊達な筆致から、光政40歳前後の筆跡と思われる。光政は当代の大名屈指の名筆である。「明日、一条殿申請に付きて、御使者、殊に台物(大きな台に乗せて他人に贈る料理や進物の品)御前、御肴二種、御意に懸けられ候。誠に御念に入れられ候段、浅からず存じ候。明晩は、御見廻成さるべきよし、忝く候。必ず必ず、待ち奉り候。これより申し入るべきを、取り込み心外の至り、迷惑せしめ候。恐惶謹言。尚々、忝く存じ候、/\。以上。八月二十二日(花押)/中(川)内膳(正)様貴報松(平)新太郎」
尚々忝存候/\以上明日一条殿申請ニ付而御使者殊臺物おまへ御肴二種被懸御意候誠被入御念候段不浅存候明晩ハ御見廻可被成よし忝候必々奉待候これ申入へきをとりこミ心外之至令迷惑候恐惶謹言八月廿二日(花押)中内膳様松新太郎 貴報
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Letter by Ikeda Mitsumasa
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
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