大久保忠隣筆書状

- 人物
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作者大久保忠隣
- 年代
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制作年 AD17
- タイトル
- オオクボタダチカヒツショジョウ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
大久保忠隣〈おおくぼただちか・1553-1628〉は、永禄11年〈1568〉に徳川家康の近習となり、のち、しばしば従軍して功を立てる。文禄2年〈1593〉、家康の嫡男秀忠付きになり、翌年家を継ぎ小田原六万五千石の城主となった。秀忠補佐の功により、声望が高く、本多正信に嫉視された。慶長18年〈1613〉、大久保長安〈ながやす・1545-1613〉の不正事件が明るみに出て、長安の推薦者の忠隣も家康の不興を買い、忠隣は正信の処置により改易に処せられた。元和2年〈1616〉4月、家康の死を聞いて剃髪し、法名を渓庵道白(けいあんどうはく)と号し、秀忠の招きにも応じず、寛永5年〈1628〉、76歳で死去した。これは、小田原城主大久保忠隣と藤堂高虎〈とうどうたかとら・1556-1630〉の間で取り交わされた手紙で、慶長16年〈1611〉5月10日のもの。これよりさき3月28日、家康(70歳)は京都二条城に、大阪城の豊臣秀頼を迎えて会見した。家康は満足であった。ついで、4月18日に家康は京都を出発して駿府に帰った。宛名の藤堂和泉守高虎は、当時、伊勢国安濃津城主であった。家康の東帰にしたがった高虎は、三河国吉田まで随従して、伊勢に帰った。また文面に「爰許御普請之儀」とあるのは、幕府の江戸城修築の着工を示している。この時、大久保忠隣は59歳、手紙を受理した藤堂高虎は56歳であった。「御状拝見、本望至極に候。仰せの如く、今度、大御所様、御上下り、御機嫌能く還御の儀、目出度く存じ奉り候。殊に貴様(藤堂高虎)、吉田まで御供成され候。仕合せに候。彼の地より御暇にて、御帰国の由、仰せ越され候通り、上聞に達し候。定て、今ほどは御休息為るべくと察し奉り候。将亦、爰許、御普請の儀は、過半、出来申し候。猶、後音を期し、一二(つまびらか)にするに能わず候。恐惶謹言。大(久保)相模守/五月十日忠(花押)/藤(堂)和泉守様御報」
[上段] 御状拝見本望 至極存候如仰 今度 大御所様御上下 御機嫌能 還御之儀目出 度奉存候殊 貴様吉田まて 被成御供候仕合にて彼地 [下段]御暇ニて御帰国之由被仰越候通達上聞候定而今ほとハ可為御休息と奉察候将亦爰許御普請之儀過半出来申候猶期後音不能一二候恐惶謹言大相模守五月十日忠(花押)藤和泉守様御報
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Letter by Okubo Tadachika
物理的特性
- 重量と数量
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員数 1幅
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