小堀遠州筆書状

- 人物
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作者小堀遠州
- 年代
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制作年 AD17
- タイトル
- コボリエンシュウヒツショジョウ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
小堀遠州〈こぼりえんしゅう・1579-1647〉は、名を政一(まさかず)、号は宗甫(そうほ)、別に孤篷庵(こほうあん)という。遠州流茶道の祖で、千利休〈せんのりきゅう・1522-91〉・古田織部〈ふるたおりべ・1543-1615〉とともに三大茶人に数えられる。慶長13年〈1608〉、30歳のときに従五位下・遠江守に叙位。以後遠州と通称される。茶の湯や作庭の才に富み、とりわけ、その書は定家流の奥義に達して、藤原定家〈ふじわらのさだいえ・1162-1241〉そっくりの書風を展開した。伊丹屋宗不〈いたみやそうふ・生没年未詳〉の使者が来訪していうには、柳生但馬守宗矩〈やぎゅうむねのり・1571-1646〉が南都(奈良)に下向の際、宗不と対面、談笑したという。宗矩は伏見に2、3日滞留するというので、この手紙で遠州は、宛名の人物に伏見来訪をうながしている。「高麗人」というのは、朝鮮通信使のことである。遠州生存中、朝鮮通信史のわが国来朝は何度かある。その一行が江戸の幕府方へ御礼に参上し、その晩は大雪であったという。となると、寛永13年〈1636〉12月のことではなかったか。『大猷院殿御実記』(巻三十三)の同年同日条に、「聘礼終りてのち大雪尺に盈り」と記されていることがそれを裏書きする。遠州、時に58歳であった。末尾に詠んだ狂歌一首が興味深い。「宗不(伊丹屋宗不)所より使候の間、申し上げ候。先日は、南都(奈良)へ罷り越し、柳但州(柳生但馬守宗矩)へ御目に懸かり、御物語承り候。伏見へ二、三日も滞留有るべきの由、爰元(ここもと)、御通り成さるべく候の間、貴意を得べく候。かしく。尚々、内々の御方、紫野(京都)に御住成され候所、存じたる人これ無く候。定めて堺へ御下向成され候と存じ候。又、高麗人(朝鮮人)江戸へ参りて、御礼申し上げ候。晩より大雪降り候由に候。/高麗人も御調運びて白雪も猶豊年の徴なるらん/十三日(花押=遠州)」
尚々内々之御方宗不所使候間むらさき野ニ御住被成候所申上候先日者南都へ存たる人無之候罷越柳但州へ定而堺へ御下向被成候と懸御目御物語承候存候伏見へ二三日も可有滞留之由又高麗人江戸へ爰元可被成御通候間参て御礼申上候晩大雪ふり申候由候可得貴意候かしくこま人も御調はこひて白雪も猶とよ年のしるしなるらん十三日(花押)
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Letter by Kobori Enshu
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
- 付属品
- 紙帙、桐箱
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