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飛鳥井雅章筆書状

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人物
年代
制作年 AD17
タイトル
アスカイマサアキヒツショジョウ
コレクション
所管
斯道文庫 キャンパス 三田
資料番号
AW-CEN-000411-0000
ライセンス
CC BY 画像ライセンス
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

URL
基本分類
美術
AIタグ
手書き フォント 矩形 アート モノクロ

飛鳥井雅章〈あすかいまさあき・1611-79〉は、江戸時代初期の公卿。雅庸〈まさつね・1569-1615〉の第三子で、初名は雅昭、寛永10年〈1633〉雅章と改名。兄雅宣〈まさのぶ・1586-1651〉の養子となり飛鳥井家を相続、従一位・権大納言に至る。雅経〈まさつね・1170-1221〉を始祖とする飛鳥井家は、代々、蹴鞠と和歌の二道をもって聞こえていた。特に歌道においては、二条・冷泉、両家に代わって台頭しており、また入木道(書道)においても一家をたてた。中でも雅章は、歌人として名高く、後水尾上皇より古今伝授をうけ、慶安元年〈1648〉の仙洞歌合では歌の善し悪しを判定する判者として列席したこともあるなど、大いに活躍した。その他、権大納言のほか、朝廷と幕府の連絡役である武家伝奏(ぶけてんそう)も務めている。また、書にも巧みで、雅親の栄雅流(飛鳥井流)の能書としても知られる。これは、「楊名介(ようめいのすけ)」について問い合わせをうけた返書である。「楊名介」は、平安朝以降、名目だけで職掌も俸禄もない国司の次官のことをいう。『源氏物語』夕顔の巻に、「やうめいのすけなる人の家になん侍りける」とみえる語。その典拠として、『清慎公記(せいしんこうき)』(藤原実頼〈900-970〉の日記)と『李部王記(りほうおうき)』(醍醐天皇皇子重明親王〈906-954〉の日記)を挙げる。『清慎公記』康保四年〈967〉七月二十二日条には、「楊名関白早可被停止之者也」とあり、『吏部王記』天暦四年〈950〉九月五日条には、「天暦四日九月五日、一分除目、令一老書生譲件楊名書生云々」と見える。有職故実に厳密な宮廷生活の一面をうかがわせる。宛所を省略しているので、ごく昵懇の人に申し送った手紙とみえる。「回鱗」は返書の意。中国の古楽府(こがふ)「飲馬長城窟」にちなみ、「鯉魚」は手紙の意に用いられるようになった。また返信のことは回章(かいしょう)、回鯉(かいり)、回鱗(かいりん)などと表す。したがって、鱗は鯉魚の「うろこ」の意である。ここでは、署名の「雅章」と「回章」の字の重なりを避けたものか。「尊礼、御尤もに候。其の中に「陽明(「楊名」の誤用)介」の事、則ち「夕顔」(『源氏物語』)の巻に候。「清慎公記」康保四年七月二十二日、宰相中将云々。「李部王記」、同じく天慶四年九月五日、一分除目、令一云々。此くの如くに候。御引き合わせ、御考え尤もに候。恐々謹言。九日回鱗雅章」

尊礼御尤ニ候其中に陽明介之事則夕皃(=顔)巻に候清慎公記康保四年七月廿二日宰相中将云々李部王記同天慶四年九月五日一分除目令一云々如此候御引合御考尤候恐々謹言九日回鱗雅章

ライセンスなど

資料番号
AW-CEN-000411-0000
ライセンス
CC BY
クレジット表記

慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)

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ライセンス

所管・分類など

所管
斯道文庫
キャンパス 三田
URL
基本分類
美術

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オブジェクトの詳細

識別情報

タイトル(英題)
Letter by Asukai Masaaki

物理的特性

重量と数量
員数 1幅
付属品
*桐箱、紙帙

来歴

*桐箱、紙帙

識別情報

タイトル(英題)
Letter by Asukai Masaaki

物理的特性

重量と数量
員数 1幅
付属品
*桐箱、紙帙

来歴

*桐箱、紙帙