増田長盛筆書状

- 人物
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作者増田長盛
- 年代
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制作年 AD16
- タイトル
- マシタナガモリヒツショジョウ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
増田長盛〈ましたながもり・1545-1615〉は戦国時代の武将。尾張国増田村の出身。羽柴(豊臣)秀吉に仕え、天下統一の業を助けた。天正13年〈1585〉五月、従五位下・右衛門尉に叙任。秀吉の信任は篤く、前田玄以・浅野長政・石田三成・長束正家とともに、世にいう豊臣家の五奉行として諸政に参加した。今日、検地帳をはじめとする文書に彼の名を見ることで、その奉行としての功績は明らかである。秀吉亡き後は豊臣家の衰退と運命をともにし、慶長5年〈1600〉の関ヶ原の戦いの後の領地没収、配流を経て、元和元年〈1615〉大阪落城の後、子の盛次が西軍に在ったこともあって、死を命ぜられ自刃した。文面の意は通じがたいが、この度の沙汰によって、佐久間新五郎ならびにそのゆかりの人々それぞれに新しく土地が与えられ、相応の仕官の口も叶ったことを喜んだ内容。かねてより、新五郎から長盛に口添えを依頼していたようである。使者に立った高田小左衛門は長盛の家臣。関ヶ原の戦の際、長盛は、石田三成とともに大坂城西の丸に入るが、この時、長盛の指示により関ヶ原の徳川家康の許に派遣されたのが、この高田小左衛門であった。長盛は、家康に通じていたのであった。「今度の仕合に付きて、各抱え置き候ても如何候間、先々、何方へも才学(覚)次第に、新知(新地=新しく得た住地)をも取られ候。衆頼まれ候て、似相に有り付かせられ尤もに候。今迄辛労も候間、引き立て候様にと存じ候処、是非に及ばざる次第に候。組中へも此の由申さるべく候。猶、高田小左衛門申すべく候。恐々謹言。十月五日右衛門入道長盛佐久間新五郎殿」
今度之仕合ニ付而各抱置候ても 如何候間先々何方へも才学次第ニ新知をも被取候衆被頼候て似相ニ被有付尤候今迄辛労も候間引立候様ニと存候処不及是非次第候組中へも此由可被申候猶高田小左衛門可申候恐々謹言右衛入十月五日長盛(花押) 佐久間新五殿
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Letter by Mashita Nagamori
物理的特性
- 重量と数量
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員数 1幅
- 付属品
- 桐箱、紙覆
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