九条兼実筆書状

- 人物
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作者九条兼実
- 年代
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制作年 AD12
- タイトル
- クジョウカネザネヒツショジョウ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
九条兼実〈くじょうかねざね・1149-1207〉は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿。本姓藤原、九条家の祖。法名、円証。月輪殿(つきのわどの)・後法性寺殿(のちのほっしょうじどの)と称す。藤原忠通〈ふじわらのただみち・1097-1164〉の三男で、天台座主慈円〈じえん・1155-1225〉は弟。子に後京極良経〈ごきょうごくよしつね・1169-1206〉がいる。治承・寿永の乱を経て鎌倉幕府の覇権が確立すると、源頼朝〈みなもとのよりとも・1147-99〉の支持によって、摂政・氏長者・関白となって公家政権を掌握した。しかしながら、建久7年〈1196〉の政変によって失脚、政界を追われた。建仁2年〈1202〉出家。59歳で没して法性寺に葬られた。仏門への帰依篤く、法然〈ほうねん・1133-1212〉の『選択本願念仏集(せんじゃくほんがんねんぶつしゅう)』は兼実のために述作されたという。また能書家としても知られ、後世、法性寺流中興の祖と仰がれた。その日記『玉葉(ぎょくよう)』は長寛2年〈1164〉から建仁3年〈1203〉に至るまでの貴重な古記録である。この手紙は、後白河法皇〈ごしらかわほうおう・1127-92〉の御幸の次第を前内府に進上した際に書かれたもの。文面によれば、諸々の取り仕切りが、故実に随って細かい点まで定められている。宛所の「内大臣殿」は兼実の長子・藤原良通〈ふじわらのよしみち・1167-88〉。また、本文中の「前内府」は藤原実定〈ふじわらのさねさだ・1139-91〉、「殿」は前摂政・藤原基通〈ふじわらのもとみち・1160-1233〉であろうか。おそらく文治年間〈1185-89〉頃に執筆の手紙と考えられよう。「今日の御幸次第、前内府、造進を乞うと云々。件の次第、殿に候らん。御幸の時、定めて先ず参会せられ候か。其の時、先ず申し取り、被覧すべく候。入御の時、講堂の東、未だ東幔を後にあてて、南の上、西の面、列立(大勢が列をなして立つこと)の由、これを載すと云々。御車、近づかん時、蹲居(貴人が通行する時、両膝を追ってうずくまり、頭を垂れて行う礼)せしめ給うべく。真様(正しいさま)のししは、床子などを察々用うる事に候也、然るべからず。程経て、誰か堪う者、只地に坐せしめ給うべし。又、西廊の座より堂前の路に進み、大方、楽屋と大鼓等の間、経べきの由、次第を載すと、云々。条々、委しく今度の次第を披覧せし給うべし。又、今度の一同、直すべき次第の趣をば、人々にも楽合わせしめ給うべきの状、件の如し。十二月十五日/兼実(花押)/内大臣殿」
今日御幸次第前内府乞造進云々件次第殿に候らん御幸之時定先被参会候歟其時先申取可被覧候入御之時講堂東未可列東幔を後にあてて南上西面可列立之由載之云々御車ちかつかん時可令蹲居給まさまのしゝハ床事なとを察々用事候也不可然経程て誰堪者只地に可令坐給又自西廊座進堂前路大方楽屋与大鼓等間可経之由載次第云々条々委可令披覧今度次第給又今度一同可直次第之趣をハ人ゝにも可令楽合給候之状如件十二月十五日兼実(花押)内大臣殿
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所管・分類など
グループのオブジェクト
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Letter by Kujo Kanezane
物理的特性
- 重量と数量
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員数 1幅
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