小早川隆景筆書状

- 人物
-
作者小早川隆景
- 年代
-
制作年 AD16
- タイトル
- コバヤカワタカカゲヒツショジョウ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
小早川隆景〈こばやかわたかかげ・1533-97〉は、戦国・桃山時代の武将。毛利元就〈もうりもとなり・1497-1531〉の三男。幼名は徳寿丸。安芸国の竹原小早川家と沼田小早川家を合わせ継いだ。兄の吉川元春〈きっかわもとはる・1530-86〉とともに毛利輝元〈てるもと・1553-1625〉を助け中国を計略、三原を本拠に、本領の水軍をもって瀬戸内海に活躍した。天正10年〈1582〉の本能寺の変の際、豊臣秀吉〈とよとみひでよし・1536-98〉との和議を進めた。その後は、秀吉の四国平定・九州征伐・文禄の役に従軍、数々の戦功を挙げ、秀吉の大老として重用された。が、病のため養子の小早川秀秋〈ひであき・1582-1602〉に家督を譲り、三原に隠退、慶長2年〈1597〉6月、65歳の生涯を閉じた。この書状の冒頭の「蜂須賀殿」は、蜂須賀正勝〈はちすかまさかつ・1526-86〉のことと推量される。正勝と隆景はともに、天正13年の根来・雑賀一揆攻め(紀州征伐)、同年の四国征伐と、秀吉の一連の戦略に深く関わり合っていることから、この書状も、紀州征伐・四国征伐いずれかに関連するものではなかったか。「小舟を瀬戸口へ」などの文言は、隆景の得意とする水軍の背景を思わせる。宛名の「三七郎右(衛門)」は、誰か不明ながら、隆景の家臣の一人であろうか。「蜂須賀殿、此比、下向たるべく候。夫に就きて、此の者差し出し候。爰元にて待たせ候間、夜に小舟を瀬戸口へ差し出され、彼の舟に違い候はぬ様、馳走に預かるべく候。造作ながら頼み入り候。委細、此の者口上に申し候。恐々謹言。六月十二日隆景/三七郎右(衛門)これを進らせ候」
はちすか殿此比可為下向候就夫此者差出候爰元にてまたせ候間夜ニ小舟を瀬戸口へ被差出彼舟ニちかい候はぬ様可預馳走候乍造作頼入候委細此者口上ニ申候恐々謹言六月十二日隆景(花押)三七郎右進之候
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
Keio Object Hub では、データのオープン化を進めるだけではなく、オープン・データを活用してどのような体験がデザインできるか、さまざまな試みを行っています。
オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Letter by Kobayakawa Takakage
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
Keio Object Hubでは、試験的な取り組みとして、AI(機械学習)を用いてキーワードを付与し、検索やフィルタリングに使用しています(AIサジェスト)。
初期ローンチ時は、Google Cloud の Vision APIを利用して、各オブジェクトの画像を解析し、自動的にキーワードを付与しています。