一休宗純筆書状

- 人物
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作者一休宗純
- 年代
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制作年 AD15
- タイトル
- イッキュウソウジュンヒツショジョウ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
一休宗純〈いっきゅうそうじゅん・1394-1481〉は室町時代の臨済僧で、京都大徳寺第46世。後小松天皇〈ごこまつてんのう・1377-1433〉の皇胤。別に狂雲子(きょううんし)とも号した。字の一休とは、煩悩と悟りの間に「ひとやすみする」の意。一休はさまざまな禅風を学び、修行に励み、権力に媚びず、当時の腐敗した禅宗を批判した。性質は純粋・潔癖で、その生き方は清貧枯淡で自由奔放、反骨精神あふれるものであった。人間的で、身分職業に左右されない四民平等の禅を説き、庶民禅として人気を博した。一休の禅は東山文化形成に大きな影響を与え、また、彼自身も詩歌や書画をよくした。著作として『狂雲集』などがある。この手紙は、伊勢国玉垣に赴任が決まって下向の大弐殿(未詳)の県召(地方官の発令)の披露宴のために、銭100文を進上すること、また、どうかこの旨を御所さま(伊勢太神宮の大宮司)に申しつけて欲しい、との依頼が記されている。玉垣は、「玉垣御厨」のことで、伊勢国郡の御厨(現在の三重県鈴鹿市玉垣地区一帯)をいう。康平6年〈1063〉妙香院荘園目録(『門葉記』所収)に玉垣荘とみえる。永久3年〈1115〉に神宮領となったという。礼紙書状の1通目にあたり、2通目の方は早くに失われて宛名は残念ながら不明。流麗闊達、一休独自の奔放な筆致を示している。「玉垣大弐殿の開きの御祝いの御為に、一結(銅銭=100文)参らせ候。社家の御所様へ御申しあるべく候。猶々、申し入れ候。県、彼の所、広々と候はば、返すがえすめでたく候べく候。(以下、欠)」
ひろびろとなをなを候ハゝ返々申入候めてたくあかた候へく候かの処玉垣大弐殿のひらきの御祝の御ために一結参候社家の御所さまへ御申あるへく候
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Letter by Ikkyu Sojun
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
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