即非如一筆一行書

- 人物
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作者即非如一
- 年代
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制作年 AD17
- タイトル
- ソクヒニョイチヒツイチギョウショ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
即非如一〈そくひにょいち・1616-71〉は、江戸時代前期に来日した黄檗宗の高僧。明の人。18歳で剃髪、その4年後に黄檗山万福寺の隠元隆琦〈いんげんりゅうき・1592-1673〉に菩薩戒を受け、ついで順治8年〈1651〉印可を受けた。同14年〈1657〉に来航していた隠元禅師に招かれて来日し、しばらくは長崎崇福寺において黄檗宗の弘通(ぐずう・教法を世間に広めること)につとめ、寛文3年〈1663〉に上洛、宇治の黄檗山万福寺の首座(しゅそ)になり、木庵性瑫〈もくあんしょうとう・1611-84〉とともに隠元を助けた。やがて帰国を計画したが、小倉藩主小笠原忠真〈おがさわらただざね・1596-1667〉らに強く望まれ、同5年〈1665〉広寿山福聚寺を開創した。3年後、長崎崇福寺に戻り、同11年〈1671〉に病没した。56歳であった。江戸時代初期につぎつぎ来朝した黄檗僧の多くが書画・詩文を能くしたので、彼らが江戸の文化に及ぼした影響はきわめて大きいものがあった。彼らにとって、書は布教の手段でもあったようで、いずれもが多くの作品を遺している。即非は隠元・木庵と並び、「隠木即(いんもくそく)」と謳われ、「黄檗の三筆」と尊称された。「結果自然成(けっかじねんじょう)」とは達磨の伝法偈中の一句で、一心開発して、仏果が自ら成就することを意味する句。『景徳伝灯録』(景徳元年〈1040〉成立。宋、永安道原撰)巻三・菩提達磨章にみえる、「吾本茲土に来りて、法を伝え迷情を救い、一華五葉を開き、結果自然成」の結びの一句である。また、「雪峯」とは、福建省侯官県に所在する、雪峰義存〈せっぽうぎそん・822-908〉が開創した雪峰山崇聖寺に参禅したことを示す。
(印「臨済三十三世」)結果自然成雪峯即非書(印「即非」)(印「如一之印」)
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ライセンスなど
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グループのオブジェクト
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Single-line Calligraphy by Jifei Ruyi
物理的特性
- 重量と数量
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員数 1幅
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