古岳宗亘筆偈

- 人物
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作者古岳宗亘
- 年代
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制作年 AD16
- タイトル
- コガクソウコウヒツゲ
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- 斯道文庫 キャンパス 三田
古岳宗亘〈こがくそうこう・1465-1548〉は、室町時代の臨済宗大徳寺派の僧。寛正6年〈1465〉、近江(滋賀県)に生まれ、16歳で京都にのぼり、建仁寺に入る。転じて23歳の時、大徳寺の春浦宗煕〈しゅんぽそうき・1416-96〉に師事し、また如意庵(にょいあん)の実伝宗真〈じつでんそうしん・1434-1507〉に20余年参じて、法を嗣ぐ。永正6年〈1509〉、大徳寺第76世に出世した。のちに大仙院に退くが、その石庭(枯山水の庭)を創案したことで有名である。朝廷・幕府に厚く遇せられた古岳は、大永元年〈1521〉後柏原天皇〈ごかしわばらてんのう・1464-1526〉より仏心正統禅師、ついで天文5年〈1536〉後奈良天皇〈ごならてんのう・1496-1557〉より宸翰を染めて正法大聖国師の号を賜った。法嗣(法統を伝えられた弟子)も多く、大林宗套〈だいりんそうとう・1480-1568〉らがおり、その流れが全盛期の大徳寺の主流派となった。のみならず、知識人の信者の徳望も厚かった。また、茶の湯に心を潜め、大徳寺を茶の湯の本山化した。これは、「蒯庵老人」(未詳)より寄せられた、国師号讃歎の偈頌(げじゅ)に賦して詠んだものであろう。「大僊(仙人)宗亘」とあり、大徳寺第76世を辞したあと、大仙院に退居していたころの筆。やや粗い筆触ながら、鋭い筆勢、張りのある筆致に、まだまだ意気盛んな境地がうかがわれる。伝存稀有の遺墨である。「卒(にわか)に、蒯庵(かいあん)老人、国師号の賀せらるるの芳韵(=韻)に見(まみ)えるに依る。号して、国師を賜る。宸翰鮮やかなり。徳軽く、恩重く、枯禅を愧(は)ず。喜公、賀する一篇の偈を以ってす。湖上(琵琶湖)、青山また御前なり。大僊(=仙)宗亘、拝首」
卒依蒯庵老人見賀国師号之芳韵号賜国師宸翰鮮徳軽恩重愧枯禅喜公賀以一篇偈湖上青山亦御前大僊宗亘拝首
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Buddhist Verse by Kogaku Soko
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
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