平田篤胤像

平田篤胤〈ひらたあつたね・1776-1843〉は、江戸時代後期の国学者。秋田に生まれたが、20歳で単身江戸に出る。寛政12年〈1800〉に備中松山藩士平田篤穂の養子となる。その後独学で国学を学び、本居宣長の影響をうけながら、みずからの学説を打ち立て、平田神道を大成、皇国学の発展・普及に貢献した。その過激な思想は幕府に嫌われ、江戸払いとなって、秋田に送還され、江戸帰還の願いも叶わず、失意のまま天保14年〈1843〉閏9月、68歳で死去した。生前・没後を通じて熱狂的な支持者を得たという。本図は、水干姿で鹿皮の敷物の上に坐す篤胤を描く。着衣を勁い墨線で縁取るのに対し、眉や鬢、鹿毛などは細緻な筆で描写している。その面貌から篤胤の意志の強さを強調しているようである。上部の和歌1首は、万葉仮名を多様した上代様の書風は、まさに篤胤の自筆とみて差し支えない。依頼によって、みずからの画像に自賛したものであろう。このほかに篤胤の養嗣子銕胤賛の画像(東京・平田神社蔵)が知られるが、それとは、太刀・結び紐などに相異が見られる。自筆の賛を持つ意味でこの画像の資料的価値は高いといえる。「帝(すめらぎ)の道たゞ一つ此をおきてあだし小径に依らめやも人/平篤胤」
帝の道たゞ一つ此をおきてあだし小径に依らめやも人平篤胤
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
Keio Object Hub では、データのオープン化を進めるだけではなく、オープン・データを活用してどのような体験がデザインできるか、さまざまな試みを行っています。
オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Portrait of Hirata Atsutane
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
- 付属品
- 外箱
Keio Object Hubでは、試験的な取り組みとして、AI(機械学習)を用いてキーワードを付与し、検索やフィルタリングに使用しています(AIサジェスト)。
初期ローンチ時は、Google Cloud の Vision APIを利用して、各オブジェクトの画像を解析し、自動的にキーワードを付与しています。