万里小路藤房像

- 人物
-
作者土佐光信
- 年代
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制作年 AD15
- タイトル
- マデノコウジフジフサゾウ
- 材質・技法・形状
- 絹本着色
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- ミュージアム・コモンズ キャンパス 三田
鎌倉時代末期の公卿・万里小路藤房〈までのこうじふじふさ・1295-?〉の画像である。藤房は、万里小路宣房〈のぶふさ・1258-1348〉の長子。後醍醐天皇〈ごだいごてんのう・1288-1339〉の近くに仕え、正二位・中納言に叙せられる。元弘元年〈1331〉、後醍醐天皇の倒幕謀反(元弘の乱)に参画するが、まもなく捕らえられて翌年には常陸国に配流となった。元弘3年〈1333〉、鎌倉幕府滅亡により京都に帰還、建武新政府に出仕した。が、翌建武元年に突然出家逐電、その後の消息は不明という。硬骨漢ゆえ、建武新政の誤りを直訴したが受け容れられなかったがために出家したとの説もあるなど、藤房についてはかずかずの逸話が残されている。本図は、その藤房の出家後の姿を描く。烏帽子をかぶり、右手に払子(ほっす)をもち、袈裟をまとった坐像。気骨の表情をとらえた生命感あふれる面貌、眉・鬢の毛・髭の精緻な描写である。この軸には、文化3年〈1803〉の住吉広行〈すみよしひろゆき・1755-1811〉の折紙(鑑定書)と、土佐光孚〈とさみつざね・1780-1852〉が成瀬正胤(なるせまさたね・享和年間〈1801~04〉ころの画家)に宛てた書状が付属しており、それらは筆者を室町時代後期の画家・土佐光信〈とさみつのぶ・生没年未詳〉と極める。それらの鑑定に示す通り、光信の自筆作品としてさしつかえないであろう。光信は文亀3年〈1503〉に従四位となって、絵師として最高の地位にのぼり、屏風・絵巻・肖像画・仏画など広範囲にわたって活躍し、土佐派を確立した、当時を代表する大和絵の画家であった。
忠也報国義也終身抱芳埜苦喫笠山辛功焉不成名焉不遂辞世皈(帰)仏恁如麼生
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
Keio Object Hub では、データのオープン化を進めるだけではなく、オープン・データを活用してどのような体験がデザインできるか、さまざまな試みを行っています。
オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Portrait of Madenokoji Fujifusa
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
- 付属品
- 内箱(紐切れ、破損) 目録切抜(参考資料多数)
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