近衛信尹筆柿本人麿自画賛

- 人物
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作者近衛信尹
- 年代
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制作年 AD16
- タイトル
- カキノモトノヒトマロジガサン
- 材質・技法・形状
- 紙本墨画
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- ミュージアム・コモンズ キャンパス 三田
近衛信尹〈このえのぶただ・1565-1614〉は、桃山時代の公卿で、摂関家近衛家の当主。文禄元年〈1592〉、秀吉の朝鮮出兵にみずからが総指揮をとるべく、渡航従軍を企てたが失敗。同3年、義兄たる後陽成天皇の勅勘に触れ、薩摩国最南端、坊の津に配流となった。後に帰洛し、還俗後、関白・氏長者さらには准三宮となった。歌道・書道に秀で、ことに書においては、近衛流(三藐院流)と称され、本阿弥光悦・松花堂昭乗とともに「寛永の三筆」の1人に挙げられ、不羈奔放の性格のままに、豪放自在、すこぶる個性的な書をかいた。この賛の書風もその典型である。信尹の書風は、没後、多くの追随者を得て、一世を風靡した。また、画にも非凡の才を発揮、とくに水墨画の名品を多く残している。本図は、画像・賛ともに信尹自筆の柿本人麿自画賛である。歌仙信仰の長い歴史の中で、柿本人麿は歌道の聖として崇められ、人々からひときわ高い信仰を集めてきた。以来、人麿を祀る人麿影供(人麿供とも)が生まれた。これは、歌会において、床に人麿の画像を掛け、歌聖柿本人麿を供養する儀礼で、歌道の向上を願い、あるいは歌会の成功を祈ったのである。平安時代・12世紀から起こった風習である。この画像も、こうした影響下で描かれたもの。ふつうは、大和絵の手法による極彩色の画像が好まれた。が、この画像は、柿本人麿(丸)像を文字絵に描いた略画である。烏帽子と線描の顔貌に、狩衣姿の肩のあたりから胸にかけて「柿」の字。筆を持つ右手を「本」の草書体。右足と左足、指貫(袴)の姿を「人」字と「丸」字をもってあらわしている。あわせて柿本人麿の坐像に完成させている。図上の賛は、『古今和歌集』(巻第17・雑歌上)に収められ、柿本人麿の詠歌とされる歌。「梓弓磯辺の小松たが世にか万世かねて種をまきけむ」
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Portrait of Kakinomoto no Hitomaro by Konoe Nobutada
物理的特性
- 重量と数量
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員数 1幅
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