祐天筆白衣観音像

- 人物
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作者祐天
- 年代
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制作年 AD17
- タイトル
- ユウテンヒツビャクエカンノンゾウ
- 材質・技法・形状
- 紙本墨画
- コレクション
- センチュリー赤尾コレクション
- 所管
- ミュージアム・コモンズ キャンパス 三田
祐天〈ゆうてん・1637-1718〉は、江戸時代前期の浄土宗の僧。明蓮社顕誉と号した。陸奥国新倉村の出身。9歳のときに上京、増上寺の壇通上人のもとで修行。貞享3年〈1686〉、50歳のころから諸国を遊歴、念仏布教に専念して、多くの人々に名号を授けて、深い尊敬をうけた。60歳を過ぎたころ、徳川5代将軍綱吉やその生母桂昌院の帰依を受け、宝永元年〈1704〉には伝通院の住持となり、江戸城に召されて訪問談義を説法したという。正徳元年〈1711〉には6代将軍家宣から増上寺の住持を拝命、やがて大僧正に任ぜられた。幕府内に深い信仰の勢力を張りながら、一般庶民からも生仏として尊崇された。この図は、水墨の白衣観音像。草座の上に結跏趺坐する観音像を描く。膝下の水瓶に活けた柳の木が描き添えられており、三十三観音中の楊柳観音ともむすびつく側面をあらわしている。頭上の大円光の上方に「南無阿弥陀仏」の名号を書し、観音像の背面に「祐天(花押)」の自署を加える。生涯を念仏名号の流布に傾注した祐天にとって、しばしば揮毫した図様であったであろう。きわめて小品ながら、熟練の跡が見て取れる。おそらくは、江戸城大奥の高貴の女性が常時携帯する念持仏として、求めに応じて揮毫付与したものであろう。伝存稀有の作品である。
南無阿弥陀仏祐天(花押)
オブジェクトの概要
ライセンスなど
所管・分類など
グループのオブジェクト
OPEN DATADESIGN
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オブジェクトの詳細
識別情報
- タイトル(英題)
- Tanzaku by Empress Kojun
物理的特性
- 重量と数量
-
員数 1幅
来歴
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